初めまして!
4月からビジョナリー学習塾で新入社員として入社いたしました、本常遥己(もとつね はるき)です!
今回は、私の簡単な自己紹介と、ビジョナリー学習塾に入社した理由をお伝えしていきたいと思います!
4月からビジョナリー学習塾で新入社員として入社いたしました、本常遥己(もとつね はるき)です!
今回は、私の簡単な自己紹介と、ビジョナリー学習塾に入社した理由をお伝えしていきたいと思います!
まずは簡単なプロフィールをご紹介します。
私は島根県松江市という場所で生まれ育ちました。
誕生日はなんと12月25日のクリスマスで、しかも双子として生まれました。
幼稚園の頃だけは神奈川県の川崎市に住んでいたのですが、
小学校に入学するタイミングで両親の実家のある島根へ移り住むことになり、以来高校を卒業するまではずっと島根県で暮らしていました。
小学校ではサッカー部、中学校ではオーケストラ部でバイオリンに挑戦し、高校では将棋部と茶道部を兼部するなど、
とにかく好奇心が強く、色々なものに興味をもっていました。
また、2歳から大学を卒業するまでの21年間、ラボ・パーティという英語教室にも通っており、そこで英語で演劇教育の一種といえる活動に取り組んでいました。
英語は苦手でしたが異文化交流に強い関心があり、
ラボ・パーティのプログラムに参加し、中学2年の夏にアメリカへ1ヶ月のホームステイ、高校3年の時にはカナダへ一年間留学もしました。
大学は、長野県の信州大学に進学しました。
そこで同志と呼べる素晴らしい仲間と出会うことができ、コロナ禍がちょうど始まった時期に、その仲間とAltuMという名前の学生団体を立ち上げました。全国の学生に学びを届けるセミナー型のオンラインイベントを開催、毎回全国から100~200人の学生が参加するまでに成長さることができたのは、今の私に大きな自信を与えてくれています。
実は、この大学の仲間との縁が巡り巡って武川塾長と出会うきっかけになり、こうして今の私に繋がっていたりします。
人の縁は、どこでどう繋がるのか、本当にわからないものだと思います。
そんな私ですが、小学校時代の私を一言で表すと、とにかく好奇心旺盛と言える性格でした。
「やるかやらないか」の2択には、常に「やる」を選択するような人でした。
当時の私は、普段は学校の部活でサッカーをしながら、夏と冬には親から離れてキャンプに参加し自然の中で遊ぶなど、本当に自由奔放な毎日を送っていました。
時には、家にやってきた初対面の大人の方に、「冒険しよ!」と言って、家の周辺の細い路地や田んぼのあぜ道などに連れて行って、そのまま1時間以上振り回したこともありました。
しかもそれを、私ひとりではなく双子の兄と一緒にするのだから、一層はちゃめちゃ状態です(笑)
中学校に入ってからは少しはおさまるかと思いきや、(兄は落ち着いてきましたが)より元気になっていきました。
特に中学で入ったオーケストラ部の先輩方ととても仲良くなり、学校の昼休みはもちろん、休日もかなりの頻度で一緒に過ごしました。
何より忘れられないのが、中学2年の夏休みに行ったアメリカへの1ヶ月ホームステイです。初めての海外経験は、何かもが新鮮で、刺激的でした。
しかし同時に、私は大きな壁にぶつかりました。
受け入れてくれたホストファミリーと全く英語で喋ることができなかったのです。
あれだけ騒がしかった自分が、こんなに静かに1ヶ月を過ごすことになるとは、当時の私にとって相当な衝撃でした。
アメリカでの1ヶ月をうまく消化できないまま迎えた高校生活は、楽しい毎日ではありましたが、葛藤を続けた毎日でもありました。
アメリカでの経験だけでなく、周囲との人間関係に悩んだり、様々な失敗経験から自信を喪失し、しかも中々これを身近な人にも相談できずにいました。
大きな転機が訪れたのは、高校留学の機会を提示された時です。
アメリカで全く英語を話せなかった自分が、一年間も過ごせるわけがない。
兄が積極的に「行く!」と言っている隣で、中々行きたいと言えない自分がいました。
しかし、「やるかやらないか」の2択には常に「やる」を選んでいた自分の性格が、最後の最後で背中を押してくれ、やることを決断することができました。
そこから苦手な英語を勉強し、なんとか試験合格のラインにぎりぎり滑り込み、無事に試験も通過しました。
カナダの高校で過ごした一年間は、今でも私にとってかけがえのない時間です。
違いは違いであって間違いではない。
人は誰とでも受け入れ、理解し合うことができる。
そして、どこまでも成長できる。
その可能性を教えてくれたのが、カナダで出会った個性豊かな人々でした。
こうして私は、自分の成長を実感していく中で「人の成長に立ち会いたい。教育の道に進みたい」と思うようになっていきました。
ここまでの話を読んでいただければお分かりになると思いますが、私はこれまで特別熱心に勉強するということはあまりしていない人でした。
勉強以外に、やりたいことが常にたくさんありました。
しかし一度だけ、何がなんでも勉強を頑張ろうと決意し、やり抜いた経験があります。
それが、大学受験です。
カナダから帰国した私は将来の夢・志は決まっており、大学で学びたいことも明確にありました。
ではどの大学に行くか。それを考えた時に思い浮かんだのは両親の顔でした。
「やりたいことは全部やれ。お金は気にしなくていい。それを稼ぐのは父である俺の役目だ」
時折、父はこのような言葉を私にかけてくれました。
「人に迷惑をかけなければ、好きなことをしたらいい」
母も、このような価値観で私を育ててくれました。
ついには兄と同時にカナダ留学まで行かせてくれたのが、私の両親でした。
両親が私たちに、考えられないほどのお金と時間をかけてくれていることは明白でした。
感謝してもしきれない。
そう思った時に、まずは今できる恩返しをしようと考え、私は比較的お金のかからない国公立大学に行こうということを決めました。
それからは毎朝7時に起き、23時に寝ることをルールにして、毎日勉強に集中しました。
先生の指導にも素直に従いやり続けた結果、センター試験当日に自己最高得点を更新し、点数もクラスでトップの成績を残すことができました。
私はこの経験から、大切な人への感謝を、自分が努力することで伝えることができるのだと学びました。
大学に入って、私はとにかく人に恵まれました。
長野という新天地に行っても、相変わらず様々なことに挑戦していましたが、
一番大きな出来事としては、学生団体AltuM(アルトゥム)を先輩達と立ち上げ、活動したことです。
AltuMは、”リーダー育成”をコンセプトに活動をしており、全国の学生を巻き込んで、プロの研修講師から講演をしてもらったり、週に一度、朝に集まってやる朝活勉強会などを開いていました。他にもメンバー一人一人のやりたいことに挑戦する非常に活発な学生団体です。
ここの仲間はただの仲間ではありません。お互いの夢や志を分かち合い、本気でお互いの成功を願って頑張りあえる、同志と呼べる仲間たちでした。
最後の一年間は、このAltuMの代表もやらせてもらい、多くの同志の力をかりながら、たくさんのやりたいことを実現していきました。
そんな私がビジョナリー学習塾に入社した理由は、武川塾長の思いに触れ、強く共感したからです。
我々の教育理念は
「天才である子どもの無限の可能性を信じ、天才である子どもの可能性を引き出し、夢を叶える子どもを輩出する!」
です。
私も、心からその通りだと思います。
私の無限の可能性を信じてくれた両親。
私のあらゆる可能性を引き出してくれた縁ある人々。
そして、どうしても叶えたいと心から思える夢と志に出会うことができたのが私の子ども時代でした。
だから、私も、たくさんの子どもたちが自信をもち、勉強はもちろん、様々なことに挑戦することを続けてほしいと思っています。
「夢・希望・志を語り合う子どもたちで溢れた社会を創る」
これが私の人生の目的であり、このビジョナリー学習塾で働く理由です。
どんなことがあったとしても、私は子どもの手を離しません。最後まで信じ抜き、支援し続けていきます。
初台・方南町から、夢を叶える子ども達を増やします!!!!
皆さま、何卒よろしくお願いします!